「お花 きれいですね!」

しゃがんで庭仕事をしてると、小学生の男の子が友達と二人庭をのぞき込んでいました。

立ち上がると、「こんにちは!お花きれいですね!」そう言ってくれました。
私のブログを見ていてくださっている方はピンときたかもしれません。
寒い朝、私にあたたかい挨拶をくれた男の子です。

「こんにちは!お花すきなの? 有難う!」
恋人に会えた以上に?嬉しかったです。そもそも人に恋する気持ちはもうどこか本棚の隅に追いやって久しいのですが(汗)

その少年との一時のふれあいに、庭仕事を頑張ってよかったと思いました。

濃密な人間関係の大切さもありますが、些細にも思えるようなこんな一瞬のふれあいが、とても愛おしく、幸せな気持ちにしてくれます。

今年6月頃

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母性の功罪

鬼子母神の話をご存じでしょうか。

もともとは、小さい子供を捉えて食べてしまうという、怖い神様でした。
お釈迦様がそれを憂い、鬼子母神の子を隠してしまいます。
そして子どもを隠されたことで自らの罪を悔やみ、安産、子育ての神になっています。

母性の光と影を象徴する存在として認識されています。

あかちゃんは母親(養育者)の献身的な世話によって守られ、愛着を形成し、成長していきます。幼子を胸に抱いた時の母親のあふれるような愛情は尊いと思います。

子供は成長につれ、親との距離をとっていきます。自らの価値観を構築して、おとなになっていきます。

そうした過程のなかで・・・

たとえば、なにかにつけて、どこいくの?なにするの?私の言う通りにしていればいいのよ!わたしのいうことが正しい
結婚してからさえ、毎日電話がくる。ラインがくる。夫との関係性にさえ口をだす。
それが息苦しく、辛い、でも抵抗できない。

ユングの集合無意識にグレートマザーというものがあります。
これは元型というものであり全人類共通のものとされています。
グレートマザーの光と影、母性の光と影。

もし誰かとの関係性に違和感を感じていたら、自分のなかのモヤモヤした気持ちが自分を苦しめていると感じたら、感情を詳細に見つめてみるといいかもしれません。

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「あるがまま」への違和感

アナと雪の女王の主題歌が多くの方たちに容認されていたと思います。

ありのままで~♪

このフレーズに「ちょっと違うんじゃない⁉」と感じていたのは私だけでしょうか。
確かに、自分自身を肯定することは大事です。まず、生きてることが一番大事です。
現状を肯定するのはいいのですが、その先に「こうありたい自分」に手が届くのかという心配があります。母性原理的な現状肯定に陥ってしまうのではないかという危惧です。

父性原理の観点から、自らを見つめ直す、問いを発することが必要なのではないでしょうか。

「あるがまま」から「あるべきよう」へ。

自分自身の現状を正しく知ることから、次のこうありたいステップへ踏み出していくことが大切だと考えます。

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Identified Patient ー家族療法ー

家族というのは、相互に関係しながら連鎖反応が起こります。
家族の中に誰かが問題を引き起こしたとき、その人物の問題なのではなく、家族メンバーそれぞれが原因であり、結果であると考えられます。

家族の中の一人の問題に見えることは、連鎖反応のひとつの側面だと理解します。

たとえば、子供が万引きをして捕まった。子供が不登校になってしまった。その症状を引き起こしている人物をidetified patientといいます。つまり患者とみなされている人物ということです。IPは家族のSOSを症状として呈しているのかもしれません。

家族をひとまとまりのシステムとして、ひとつの治療単位としてとらえます。

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今年もセミナー開催します!

感染対策をしてお待ちしております。

お申込みは庄内こころ塾の専用電話にお願い致します。

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生き抜く

桜はもうすっかり散ってしまいました。

葉桜のころも私はきらいではありません。却って大事を成し終えた桜の樹がほっとしているかのように感じます。
これからは葉を茂らせ、暑い夏には木陰をつくり、秋には錦の衣、冬には清冽な寒さのなか、蕾は試練にたえながら花咲く時を待ちます。

人の人生もまた、そんな営みなのかもしれません。


エリクソンの発達課題という考え方があります。
誕生の時から死ぬ時まで、それぞれの段階の発達課題を成し遂げていかなければなりません。それぞれの段階の課題を達成できないと次の課題をクリアするのが難しくなります。
しかし
思うのです。
生きていることが何より大事だと。足踏みをしてもかまわないと。

生きていてくれることにありがとう。

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3.11 祈り

きょうはあの東日本大震災から、10年が経ちました。

月日が流れ、町並みは変化し、あの頃の幼子は大きくなり、髪に白いものが目立つようになった人もいます。
愛する家族や友人を亡くされた方たちの悲しみはいかばかりでしょうか。

悲しみも痛みも決して無くなることはありません。様々な後悔、自分が代りになれば良かったという思いを抱き続けているかたもいらっしゃるのだと思います。

でも、あなたが生きていてくれて、ありがとう。

痛み、悲しみを抱えながら頑張ってこられたあなたに、ありがとう。

愛する人のいない世界で、愛する人への祈りとともに生きているあなたにありがとう。

私たちにできることがなんなのか考え続けていきたいと思います。

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「悲しみは愛」つむぎの会

もうじき3月11日です。東日本大震災から10年がたとうとしています。
多くの命が失われました。
10年という月日を経ても大切な人を亡くした方の悲しみはなくなることはありません。

お子さんを亡くした直後、いろんな人達が慰めようといろいろな言葉をかけてくれたそうです。
「いつまでも泣いてないで・・・」
「前を向いて・・・」
そういった言葉をもらった時、子供を亡くされたお母さんは思ったそうです。
『あの子を忘れろっていうの・・』
『忘れられるはずなんかない』

そんな時間を長く過ごしたあと出会った言葉が、これだったそうです。
悲しみは愛。
関係性が強いほど、愛情が深いほど悲しみは深い。
この言葉に出会って救われた気持ちになったと言います。

耐え難い悲嘆を抱えて生きてゆくには悲しみを味わい尽くすことが必要になります。
長い時間を経て、亡くなった人を忘れるのではなく、心の大切な場所にその人を内包して
愛する人のいない世界で、その人とともに生きていくことができるのだと思います。

松井保さんの星天
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レジリエンスの話(ストレス耐性について)

ストレスコーピングという言葉をお聞きになったことがあるかと思います。
ストレスへの対処と訳されていますね。いわゆる、気晴らし、気分転換をはかるためにすることです。好きな音楽を聴くとか、美味しいものを食べる、軽い運動するとか、それぞれに行っていることがあると思います。

一方、レジリエンスとは復元力、耐性と訳されていますね。
「あの人はレジリエンスが高くてなにがあってもへこたれない!」とかいうのを聞いたことがありませんか?

私は気持ちが落ちてちょっとマズイなと思うとき、いつも支持的に接してくれる友人と話をしたりします。また、いろいろあったけどなんとか生き延びてきたよなという楽観。
自分にもできていることを探す。自分の状況を客観的にみてみる。逆境を楽しむ。
自分が安心できる関係性を再確認する。そういったことをしてみます。
レジリエンス因子としては、
支持的なひとがそばにいてくれること。(安定した愛着といってもいい)
楽観主義。
ユーモアのセンス。
自尊感情。などがあげられると思います。

それから、これは生活するうえでの基本中の基本ですが、生活を整えることが大切だと思います。掃除をする。洗濯する。食事をとる。眠る。たまってた要らない書類を処分するとか、身の回りの整理は心の整理にも繋がります。

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「おはよう!」のひとことがくれたこと

自粛生活が続いて、気がつけば会話をしてないこととかあったりします。

今朝、ごみ収集日で近くのステーションに置きに行って、雪の庭を見ていました。
すると「おはようございます!」という可愛い声が聞こえました。
ランドセルを背負ってマスクをした小学校低学年の男の子がこっちをみてくれていたのです。
私はとっても嬉しくなって、「おはようございます!気を付けて行ってらっしゃい!」と叫んでいました。
恥ずかしいことですが、通学中の子供たちが歩いていても、臆してしまい声がかけられなかったりすることがあります。
あいさつはコミュニケーションの基本なのに、気持ちのいい挨拶はなんて難しいのだろうと思います。
それができていれば、コミュニケーションは上手くいきます。
気持ちのいい挨拶ができれば雑談ができるし、雑談ができれば少し深い話もできるようになります。

そして、その気持ちのいい挨拶ができたなら、言葉を贈った方も、受け取った方も、とても幸せになることができます。
また、私は我が子のおさない姿を、挨拶をしてくれた男の子に重ねていました。
(過ぎてしまわないとわからない幸せもあります。)

寒さの中、心があたたかくなる素敵な「おはよう!」でした。


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