メンタルの保ち方

新しい年の初めにあたり希望も抱負も盛りだくさんあったのですが、ここ数日ダウンしてしまいました。身体ではなくメンタルのほうです。

昨年の後半から様々なことがあり、キャパを超えて頑張りすぎていた自分がいました。
隔離された空間に閉じ込められていたような閉塞感、自分の力が信じられなくなって前に進めなくなったような感覚、「私なんか・・・」という感覚。
部屋は散らかっていました。

そんな時なにを始めたかというと、まず掃除、整理整頓、不用品を捨てることです。
これである程度見通しが立つという感覚がもどりました。
それからゆっくりお風呂につかり、早々と就寝しました。良質な睡眠は脳の疲れをとってくれます。
そして自分を苦しめている感情を観察してみます。考えてもどうしようもないことは心の隅に居場所をつくりおいておきます。目の前ではなく、あくまで隅っこに置くイメージです。この時、ストレスになっているものを削除しようとか、払いのけようとすると、ものすごい勢いで襲ってくるので、あくまで隅っこに置くというのがポイントです。ACTの考え方ですね。

現在学んでいる大学院の授業のなかで「カウンセラーは自らが痛む体験が必要だ」と仰っていたのを思い出しています。クライエントさんの痛みと同じ痛みを共有することはでません。できると言い切ることは不遜です。
as if   〈あたかも、~かのように〉それが基本です。

箱庭療法というセラピーがあります。河合隼雄先生が日本に導入されたユング派の心理療法です。心の在り様が小さな箱庭に表現されていきます。回を重ね心の状態が落ち着くと、箱庭も統合されたものに変容していきます。
こころの在り様と現実の在り様は連動しているのかもしれません。
そういった考えもあるので落ち込んだ時、すぐ出来ることとして片付けや掃除をやってみることにしています。

着手する元気もないときはまず眠ること、信頼できる友人に話しを聴いてもらうことも有効です。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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嬉しいたよりが届きました。

先日、過去にカウンセリングにいらっしゃった方から、とても嬉しいメールを頂きました。

ご自分の価値にそって道を進もうとしていたのですが、周囲は必ずしも肯定的ではありませんでした。
しかし、そんな騒音に負けず、私なんかという負のメンタルと戦い、必死に頑張ってきた結果信頼できる方に「自分の右腕になって欲しい」と言われたそうです。
これからはその方と共に道を究めていかれるのだろうと思います。

自分の価値にそって生きるとき、困難に遭遇しても、苦しみもがきながらも苦しいけれど楽しいという境涯に達するものです。

また、そのことをお知らせくださったことがとても嬉しく思いました。
カウンセリングにいらした方たちを追跡調査することはできません。
どうしてるのかな~。幸せだといいな~。
そんな思いでいます。

とてもあたたかい気持ちに満たされた日でした。

 

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休養するというセルフケア

秋も深まってきました。

うつで休養する方に対する心ない記事を目にしました。
とかく日本人は勤勉で、「全力で頑張る」とか、「気持ちを強くもって」とかという言葉がよく聞かれるような気がします。

それは日本人の美徳のようにもきこえますが、うつ病を発症した方に対しては間違った考えです。うつ病にはなにより休養が大切です。多忙で責任感が強い方は、「投薬だけで治してほしい。」と医師に懇願されるかたもいらっしゃるそうです。
休養だけで治ることはあっても投薬だけで治ることはないというのが医師の見解です。

無理をして仕事を続ければ、命さえ危うくなることがあります。
うつ病は脳からのSOSです。

まずは休養、投薬、温かいごはん、自分へのいたわりが必要です。

 

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女性の体の決定権

アメリカで女性の中絶を禁止する州が最高裁の決定を受けて増えています。
レイプや近親相関ですら、認めてもらえない。

胎内に宿る命に罪はなく、その命が守られるべきという論理も間違ってはいません。

しかし

妊娠は女性の身体に大きな負担を強いることになります。時には妊娠出産で命を落とすことさえあります。
自分の命とひきかえに赤ちゃんを産むことは美談として語られることが多いように思います。
でもそれは、母親の自己決定による場合だけだと思います。

レイプや避妊に協力しないパートナーのもとでの妊娠がどれほど女性を追い詰めることでしょう。
自分の身体のことは自分で決められる、これは人としての権利です。

 

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杉山先生の講演のご案内

以前のブログにも書いた杉山先生の講演会です。zoomで参加できます。

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「ほどよい母親」とは

以前ブログにも書いたウィニコットの提唱した発達理論です。

新生児期から三才ころまでの安定した母子関係が、その後の子の人格形成や社会的な他者との安定した関わりを構築する基盤になります。

どんなに頑張っても、赤ちゃんの欲求を完全に満たしてあげることはできません。
特に新米ママであれば、自信喪失して不安になったり、産後うつにもなったりするかもしれません。

「ほどよい」とは完全ではないということです。

新生児の頃には母子は一体ですが、月数を重ねるなかで欲求をすべて満たすことはできなくなります。小さいながらも赤ちゃんはしだいに、母親と自分は一体ではないこと、すべての欲求は満たされないことを知ります。

そして、そのことが心理社会的な子の発達を促します。

子の安全基地としてあり続けること、スキンシップは当然必要です。

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「活きる子育て法 不登校の子どもと共に」本紹介

私も属している「こころ塾」のセミナーで毎年講師をしてくださっている先生がいます。
埼玉学園大学人間学部心理学科教授の杉山雅宏先生、その先生が書かれた本です。
先生は学校臨床に造詣が深く、埼玉学園大学の臨床心理カウンセリングセンター長をなさっています。

私も10代のお子さんのことでご相談をお受けすることがあります。
学校でのいじめ、愛着の問題、発達の問題、様々なことがあります。
子どもが不登校になると、子どものカウンセリングをして欲しいと言われる方が多いのですが親御さんとお話させて頂きたいと考えることも多いです。症状を呈しているお子さんはIdentified patientなのかもと感じることもあります。
共通するのは「自分は愛されていないのでないか」「自分はまわりの期待に応えられずダメな人間なんじゃないか」という思いがあるように思います。
しかし、様々な痛みや苦しさがあっても生き抜いていま、ここにあること、それは何より尊いことです。我が子を腕に抱いた時の気持ちを親は思い出すことができます。

杉山先生のこの著書はとてもわかりやすく書かれています。当事者である、子どもとその親御さんへの優しく、深い応援です。

悠々舎 東京六法出版
900円+税

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防衛機制ー逃避ー

「障害、屈辱、避難などをさける結果、不快、苦痛、危険、葛藤、不安などから逃れることのできる、防衛機制の1つである。たとえば、失恋の結果修道院に入るとか、・・・・・・・・家庭生活が厭なため、毎晩バーに通いつめるとか・・」心理用語の基礎知識より

防衛機制は無意識的に行われます。それは必ずしも悪いわけではなく、きちんと向き合うための緊急措置のためだったりします。

私にも覚えがあります。
5年くらい前、慢性的な身体の痛みに囚われていたことがありました。検査しても原因が特定できず。大学病院の麻酔科に通院したりの日々を一年くらい過ごしました。
今も痛みはありますが囚われないで、自分のやりたいことが今はできるようになっています。
痛みに囚われていれば、自分自身の課題とむきあわずにすみます。「だって、そろどころじゃないんですから!」
詐病ではありません。しかし、痛みを理由に自分自身の課題と向き合うことを逃避していたともいえるのです。

変化したのは、過去のブログにも書いたACT(Acceptance and Commitment Therapy)に出会ったことでした。
また
自分自身の課題と向き合うのも「時」があるのかもしれません。

これを他人から指摘されたら怒りますよね。向きになって怒るときそこにヒントがあるのかもしれません。

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学びなおし!

10年位前からカウンセラーとして活動してきました。

様々にアンテナをはりめぐらし学び続けてきたのですがもう一つすっきりしなくてモヤモヤしていた自分がいました。
そこで
今年の4月から、正式に臨床心理学の大学院に入学することにしました。基本通信なので、ここでのカウンセリングも含め、お仕事をしながら学ぶことになります。

受験に際しては、もれなく「私なんか・・・」というメンタルとの闘い(汗)がありました。なにかに挑戦しようとする時、必ずと言っていいほど、このメンタルが頭をもたげます。
「私なんか・・・」と思った時、脳は可能性のシャッターを降ろしてしまいます。
それをグイっとあげるイメージが大切です。

また落ち込んだ時、なにかを学ぶということは立ち直るヒントを与えてくれます。
学び続けるかぎり、人は若くいられるといいますね。

かくありたい(笑)

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曖昧な喪失 危機からの成長

はっきりと大切な人が亡くなるわけではなく、その人が存在していても自分の記憶の中にある人でなくなることがあります。
自分を大切に育て導いてくれた親が認知症になってしまう。親は親なのだけれど別人のようになってしまうということがあります。これもやはり喪失体験、曖昧な喪失と言えます。
3.11の震災で遺体は見つからず、亡くなったことは否定できないけれど、この曖昧な喪失に苦しまれた方たちは多かったと思います。それでもお葬式をするしかない。その儀式をするまで数えきれない葛藤があったのだと思います。

生きていくということは、喪失体験と再適応のくりかえし。
突然訪れた恋人との別れ
大人になるということ。
卒業する。
引っ越しをする。
受け止め方は様々ですがやはり、これらも喪失体験です。

喪失体験をすることで、次の出会いがあったり、自立できたり、新しい上のステージにいけたりするのです。

真摯にその時々を生きていけば、危機を乗り越えて成長していくことができます。
そしてその困難を乗り越えるべくあなたが頑張っているとき、助け支えてくれる存在は必ずやいると思います。
人の力を借りるのもあなたの力です。



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