80パーセントの信頼と20パーセントの事情と許し

ノートルダム女学院の渡辺和子先生は「98パーセントの信頼と2パーセントの許し」という風におっしゃっていましたが、私は人間関係において、80パーセントの信頼と20パーセントの許しという風に考えた方がいいのではないかと思います。
その20パーセントのなかには相手の方が抱えるのっぴきならない事情や間違いを加味したほうが良いと思うのです。

とかく自分にとって大切な恋人や友人のちょっとした自分の意に沿わないこと、ちょっとした裏切りめいたことを知ってしまうと、ひどく落胆して「裏切られた!」と思ったり、信頼が強かった分、怒りが湧いてくることがあります。まるで80パーセント変わらず注がれている愛情があたかも意味がないようにまで、思い詰めてしまうことがあります。
愛する人に対して、時に、私たちはとても厳しいものです。

自分自身を内省してみた時、100パーセントのことってあるのでしょうか。
100パーセントと思っていても、たとえば、愛する我が子に対してでさえ、ある時「子供さえいなければ、、、」一瞬そんな思いが頭をかすめることだってあったりします。(その自覚が必要です。)
その時々にいかんともし難い事情を優先したり、判断を間違えてしまうことはあるのです。
80パーセントは絶えず愛する人を守りたいと奮闘してくれている大切な人を否定するのはどうなんでしょうね。
また、我が子への不適切な思いが自分のなかにもあることと、向き合うことができてこそ、バランスのとれた愛情なのではないでしょうか。

ぼやけててすみません。20パーセントの許しを。
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ひとりでいられる能力

精神分析家ウィ二コットの言葉です。
ひとりでも情緒的に安定していることができる能力。
他者の中にあっても飲み込まれない能力。

ほんとは人とつながってないと不安でたまらないのに、仕方なくひとりを我慢していることとは異なります。
とかく、twitterで大勢のなかで楽しくしている写真を上げ続けないと不安だとか、友達という連絡先がアドレスいっぱいになってることで安心したりする人達もいます。
ひとりだと恥ずかしい、ひとりだとレストランに入れないとかいう人は案外多いのだと思います。

ひとりでいられる能力のある人は他者との交流を拒否しているわけではなく、繋がろうとすればそれも可能な人といえるかもしれません。
自分のなかに確かな安全基地があるからなのでしょう。
幼子が一人遊びができるようになるころから育まれてくる能力なのでしょうね。

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ターシャの庭を目指してるかな!?

ストレスコーピングのためにも趣味をもったほうがいいとよく言われます。
でも、自分に厳しく勤勉な方は「不完全な自分が趣味にうつつをぬかすなんて有り得ない!」そうおっしゃることが多いように思います。

それ程真面目でもなく、それほど勤勉でもない私が趣味とはっきり言えるものに出会いました。若いころは、絵を描くとか山登りが好きでしたが趣味とまでは言い切れませんでした。

ガーデニングなんです(笑)
構想してから着手するまで5年位かかりました。
今年になってやっと庭らしくなったかなという感じです。
朝おきて、まず庭にでて植物の様子を見て回ります。綺麗に咲いてくれた花たちには「あなた、綺麗ね!すてき、ありがとう!」とこっそり声をかけます。
猫の額ほどの小さな庭ですが、私にとってはとても贅沢な空間です。
季節の変化を肌で感じ、土にふれて程よく退行して穏やかな気持ちになります。

自分にとって心地良いことを自分に許すことは大切なことだと思います。
「ターシャの庭」なんて程遠いのですが、ゆるーく楽しむことを自分に許すひと時を持つことは幸せなことだと思います。

今年の6月頃です。
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夢にきいてみる

現実世界に過度に適応している人、役に立たないことは意味がないと思っている人、それはそれで生きていくためには必要なこと、いはゆる上手くやっている人かもしれません。
そんな方たちは「夢なんて見ない」「見ることもある気がするけど憶えてないよ!」そうおっしゃることが多いように思います。

ネットでみる「夢占い」のことを言いたいのではありません。スピリチュアルなことを言いたいのでもありません。
若い頃、夢分析を受けました。不思議にセラピーが近づくと象徴的な夢を見ました。
何かの答えを探しているとき、夢のなかで、その答えが示されることがありました。
自分が生きてこなかった部分と対峙させられることもありました。

意識だけがすべてではありません。無意識に封じ込めたものがせりあがってきて自分に迫ってくることもあります。
自分が停滞していると感じた時、教えてくれる存在が「夢」なのかもしれません。

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カウンセリングってなにするの?

時々お電話やメールでこんなご質問を頂きます。

「困ったことや不安なことがあった時、心が弱いひとが頼るものなのかなぁ~。」
そんな風に思ってる方もいらっしゃるかもしれません。

そうではありません。
自分が抱えている課題と正面から向き合うことなのです。
自分の人生の課題を引き受ける覚悟をもち逃げずに向き合うということです。


保護された空間と時間の中で、共感的理解、無条件の肯定的関心、自己一致を旨とするカウンセラーとの対話のなかで、自己理解が進んでゆきます。
自らの辛さの原因、認知の歪み、抱えている課題(問題)の意味が理解できるようになります。
時には現実的にその問題から逃げることが必要なこともあります。
人の力を借りれるのも自分の力です。

そして、人それぞれに備えられた「時」というようなこともあります。
予約をなさって、直前にキャンセルした方がに一年後にいらっしゃるというようなこともあります。以前はきっと機が熟してはいなかったんでしょうね。

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感覚SOⅭ ストレス耐性を高める

Sense of coherence首尾一貫感覚とは1970年代にアーロン・アントノフスキー博士が提唱した概念です。この感覚はストレス耐性、レジリエンスを高めます。

第二次世界大戦の時、ナチスの収容所に収容された経験のある人達の中に、そんな過酷な経験をしながらも、その後の生活に適応して幸福感を以って生きている人たちがいるのを発見しました。


その人たちは、戦争や収容所の過酷な体験をも自分の人生における成長の糧としていたのです。
彼らは大きなストレスに直面しても「わかる感」「できる感」「やるぞ感」を持てていたのです。
「わかる感」とは見通しが持てるという感覚。
「できる感」とは自分の中の資源を集めて、また助けてくれる他者の力を借りて、なんとかなるという感覚。
「やるぞ感」とはそのストレスが自分の人生にとって必要な試練ととらえて挑戦していく姿勢のことです。

自分の人生に起こることは意味があるととらえる感覚のことです

3.11のあと、多くの大切なものや人を失いながらも、一歩一歩復興していった東北の人たちがいます。理不尽で酷く悲惨な状況の中で、祈りや愛を失わず歩まれてきている方たちの中にもこの感覚があるのだと考えます。

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感情を育てる。

幼子が膝をすりむいて、驚きと痛さにひとしきり泣くこと。
母親(養育者)が駆け寄り「痛かったねぇ、自分で立ててえらかったね。」と語りかける。

かけっこに負けて悔し涙を流す。

悲しい気持ち、悔しい気持ち、はじけるような喜びの気持ち。
男の子は泣くもんじゃないとか、人前で有頂天になるのはみっともないとか、感情を表現することはあまり推奨されない文化があるように思います。
泣くことで痛みが和らぎ、深い悲しみは薄皮をはぐように晴れていきます。
我慢することで痛みや悲しみが深いところに潜んでしまうこともあります。

母親(養育者)という安全基地が機能していれば、子供は安心して泣くことができます。
そこには共感、励ましがあり、自己肯定感も育まれるのだと思います。

その時々の自分の感情に気が付くことで、自分を適切に表現する力が身についてゆきます。

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withコロナ with不安

きょうは、きれいな初夏の日といった感じです。
爽やかな風とやわらかい光が降り注いでいます。

残念ながらアフターコロナとはいかず、長く付き合っていくウィズコロナの日々がしばらく続くのでしょう。正しく怖さを認識し、正しく予防していきましょう。

不安はどうでしょうか?
なくすことは出来ますか。
不安にとらわれず前向きに・・・とかよく聞かれますが、どうでしょうか。
払いのけようとすれば襲ってくるし、いっとき忘れたかに思えても時がたてば必ずまたやってきます。
子供の頃、親から受けた不適切な養育、虐待。戦争や内乱(今の日本では考えにくいですが)、今もその深い傷跡に傷ついている方たちもいらっしゃいます。命を脅かされる事故や天災もトラウマです。
トラウマとまでいかないまでも私たちを苦しめる苦痛な体験を想起し、くるしむことはよくあります。
ただ、それらのことが日常生活さえ脅かすようになったら・・・

過去の不幸な体験は私たちを苦しめます。
しかし、いま私たちを殺すことも害をなすこともできはしないのです。

不安と格闘しない。
不安の原因を追究しない。

不安は依然としてあるが、距離をとってみる。
「・・・という過去の記憶に傷ついている自分がいる。」
「なにをやっても上手くできない自分はダメだと思っている自分がいる。」
自分の目の前ではなく離れたところに置くイメージです。
へやの中のテレビで「嫌な過去の物語が放映されている」というふうに。

不安はなくはならないし、思い出せば不快には感じても、格闘しないですむようになります。

ACTアクセプタンス&コミットメントセラピー

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カウンセリング再開しています。

二か月近くカウンセリングを休ませていただきました。
5月16日から再開いたしました。
私はステイホームもあまり気にならないほうですが、それでも何かしら「もやっ」としたものは感じました。
サービス業を営んでいる友人たちは大きな痛手だったようです。

人生には思いもよらないことが起きます。
天災、戦争、事故、今回のような世界的な感染症の蔓延・・・。
当たり前の日常がどれほど得難いものか思い知らされたと、多くの人たちから聞かれました。

親しい友人、恋人、遠くに住む肉親にも会えない日々。
関係性を見直す時間にもなったのではないかと思います。そして、自分自身と向き合う時間になったのではないでしょうか。

使い古された言葉ですが「ピンチこそ絶好のチャンス」です。
顔を上げて切り開こうという覚悟が必要です。

フレンチラベンダーがきれいに咲きました。

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置かれた場所で 一人ひとりの物語

NHKの土曜日の朝、「小さな旅」という番組があります。ほかの時間帯でも放送されているようですが私はもっぱら土曜日早朝にみています。
旅番組というより、そこに暮らす人たちのドキュメンタリー作品になっています。

名声高い人たちやいわゆる成功者はでてきません。
その土地に根をはり日々の営みを丁寧に、自然の恵みや人を思いやり、いわば宮沢賢治の世界に生きているような普通の人々に焦点をあてた構成になっている番組です。

恵みに感謝し、家族、隣人を大切にして、努力を当たり前のこととして意識すらせず、黙々と
仕事、生きることをしている人たちの姿があります。
華麗な花ではないけれど野に咲くスミレや勿忘草のような花を咲かせ続ける。

「おかれた場所で根をはり咲く」姿をそこに見ることができます。
若い日、私は何物にもなれない自分がもどかしく鬱々としていた時間が多くありました。そのとき「人はなにを成すかではなく、与えられた状況のなかで如何に生きるかが大切」という言葉を知りました。

迷いながらも、誠実に、ときに失敗を重ねたりしながらも、自分が置かれた場所や状況で生きていくという営みそのものが大切であり愛おしいのだと思います

カモミールが咲いています。この花が大好きです。

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