withコロナ with不安

きょうは、きれいな初夏の日といった感じです。
爽やかな風とやわらかい光が降り注いでいます。

残念ながらアフターコロナとはいかず、長く付き合っていくウィズコロナの日々がしばらく続くのでしょう。正しく怖さを認識し、正しく予防していきましょう。

不安はどうでしょうか?
なくすことは出来ますか。
不安にとらわれず前向きに・・・とかよく聞かれますが、どうでしょうか。
払いのけようとすれば襲ってくるし、いっとき忘れたかに思えても時がたてば必ずまたやってきます。
子供の頃、親から受けた不適切な養育、虐待。戦争や内乱(今の日本では考えにくいですが)、今もその深い傷跡に傷ついている方たちもいらっしゃいます。命を脅かされる事故や天災もトラウマです。
トラウマとまでいかないまでも私たちを苦しめる苦痛な体験を想起し、くるしむことはよくあります。
ただ、それらのことが日常生活さえ脅かすようになったら・・・

過去の不幸な体験は私たちを苦しめます。
しかし、いま私たちを殺すことも害をなすこともできはしないのです。

不安と格闘しない。
不安の原因を追究しない。

不安は依然としてあるが、距離をとってみる。
「・・・という過去の記憶に傷ついている自分がいる。」
「なにをやっても上手くできない自分はダメだと思っている自分がいる。」
自分の目の前ではなく離れたところに置くイメージです。
へやの中のテレビで「嫌な過去の物語が放映されている」というふうに。

不安はなくはならないし、思い出せば不快には感じても、格闘しないですむようになります。

ACTアクセプタンス&コミットメントセラピー

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カウンセリング再開しています。

二か月近くカウンセリングを休ませていただきました。
5月16日から再開いたしました。
私はステイホームもあまり気にならないほうですが、それでも何かしら「もやっ」としたものは感じました。
サービス業を営んでいる友人たちは大きな痛手だったようです。

人生には思いもよらないことが起きます。
天災、戦争、事故、今回のような世界的な感染症の蔓延・・・。
当たり前の日常がどれほど得難いものか思い知らされたと、多くの人たちから聞かれました。

親しい友人、恋人、遠くに住む肉親にも会えない日々。
関係性を見直す時間にもなったのではないかと思います。そして、自分自身と向き合う時間になったのではないでしょうか。

使い古された言葉ですが「ピンチこそ絶好のチャンス」です。
顔を上げて切り開こうという覚悟が必要です。

フレンチラベンダーがきれいに咲きました。

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置かれた場所で 一人ひとりの物語

NHKの土曜日の朝、「小さな旅」という番組があります。ほかの時間帯でも放送されているようですが私はもっぱら土曜日早朝にみています。
旅番組というより、そこに暮らす人たちのドキュメンタリー作品になっています。

名声高い人たちやいわゆる成功者はでてきません。
その土地に根をはり日々の営みを丁寧に、自然の恵みや人を思いやり、いわば宮沢賢治の世界に生きているような普通の人々に焦点をあてた構成になっている番組です。

恵みに感謝し、家族、隣人を大切にして、努力を当たり前のこととして意識すらせず、黙々と
仕事、生きることをしている人たちの姿があります。
華麗な花ではないけれど野に咲くスミレや勿忘草のような花を咲かせ続ける。

「おかれた場所で根をはり咲く」姿をそこに見ることができます。
若い日、私は何物にもなれない自分がもどかしく鬱々としていた時間が多くありました。そのとき「人はなにを成すかではなく、与えられた状況のなかで如何に生きるかが大切」という言葉を知りました。

迷いながらも、誠実に、ときに失敗を重ねたりしながらも、自分が置かれた場所や状況で生きていくという営みそのものが大切であり愛おしいのだと思います

カモミールが咲いています。この花が大好きです。

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「知者不惑」知者は惑わず・・・私は凡人

これは孔子の言葉です。本当に賢い人物はどんな難局に身をおいても、冷静に対処しのりきることができる、というような意味ですね。

私は凡人ですから困ったことがあると心拍数があがって、判断を間違い様々失敗を経験してきました。
そのために失ったものや背負い込んだ重荷、時間がありました。

しかし、マイナスと思える経験も私をつくっています。後悔でしかない思いからも学ぶことが沢山あることを知っています。失敗からしか成長しないのが凡人たる所以かもしれませんね。


混沌とした状況にある時、少し立ち止まって自分を客観視してみましょう。

全く希望のない状況はありえません。目を凝らし、したたかに、助けがないか未来への希望がないか探求することが大切だと思います。

どんな過酷な状況であっても、そこから学び自分の行動を変革し未来を変えることができます。

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ストレス対策など

コロナ感染症で行動制限がかかり、通常の社会生活が難しくなっています。
私もカウンセリングを自粛させていただいております。

みんなが心をひとつにして今は我慢のときです。自分を、愛する人たちを守るため
三密をさけ、感染拡大を阻止しましょう。

時間だけは十分にあります。隅々まで掃除するとか断捨離もいいかもしれません。
自分の内面に注意を向けてみるのもひとつですね。。
私は夢に注意をむけたりします。

それでもストレスがたまるなら、アメリカ心理学会推奨のストレス対策などいかがでしょうか。

1.運動
有酸素運動を少々・・。自立神経の興奮がおさまる、夜の睡眠の質も改善します。

2.瞑想
マインドフルネスですね。副交感神経が優位になり落ち着きます。

3.読書
エッセイや古文など私のおすすめです。

4.音楽
すきなアーティスト、ジャンルなど。クラシックははずれがないと思います。

5.散歩
なるべく自然、緑がゆたかな公園とかがおすすめです。

6.友人、家族とすごす。
但し、共感できる人たちと・・。

7.マッサージ
ストレスがたまると筋肉が硬直します。ほぐすと気持ちいいですよね。

8.祈り
宗教をすすめるわけではありません。誰か大切な人のために祈る。
3.11の大変な状況から立ち上がってきた日本人のレジリエンスは祈りと不可分だったと
思います。

どれかやってみませんか?

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さくら待つ頃

最近は花粉症に悩まされています。でもこの季節が一番好きかもしれません。

日本人なら大好きな桜、私も大好きです。暖冬だから花が早いかとおもいきや、そうともかぎらないようです。綺麗な花を咲かせるためには厳しい冬の寒さが必要なのです。

春は卒業式や旅立ち、という別れ、そして新しい土地での、学校や職場で始業式という出会いもあります。涙とわくわく感、引き裂かれるような思いと新しいステージで出会う様々な人や状況があります。
失わなければ出会わないものや人があります。

あれもこれもと持つことはできないし、一度に何人も抱きしめることはできません。
際限もなく欲望にかられるのが人間ですが、それを手放す勇気があれば、本当に自分がもとめている価値を見つけることができるかもしれません。

去年の桜です。
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もっと痩せなきゃ自分が許せない?

女性ならダイエットをしたことない人はいないんじゃないかと思います。
小さな顔、すらっとのびた手足、くびれたウェスト、モデルさん体型、私も憧れます。

「ちょっと、太ったね。」、「少しやせたほうがきれいかも・・」まわりからそんな風に
体型について指摘され、始めたダイエットが歯止めが利かなくなってくる。そんなことがきっかけだったり、自分の女性性が受け入れがたかったり、ストレスなどで食べることを拒否しつづけてしまう神経性やせ症/神経性無食欲症があります。

傍からみれば明らかに痩せすぎで、生理がこなくなったり、命が危うくなるほど痩せていきますが、本人は「痩せてない、お腹もすいてない、疲れない」という強い否認があります。なんとか入院治療をしても、退院すれば痩せることに集中して努力してしまう。

太っている自分は許しがたいとさえ思ってしまう。究極に痩せることが本人にとっての価値だということのようです。

痩せること以外の価値を見つけることが、そこから脱出するきっかけになることがあります。進路だったり、恋人だったり・・。

根気強い治療が必要です。

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失われたものを取り戻す

私の息子の結婚式でのあいさつです。

「自分がもの心ついた頃には、父親はいませんでした。でも不思議にさみしいと思ったことはありませんでした。それは母が自分を大切に育ててくれたからだと思います。」そう言ってくれました。思い出すといまでもそのやさしさに涙があふれてきます。

きっとさみしい思いはあったのだと思います。なかったといってくれたのは彼の気遣いです。

その彼が自分の子供をもって、育てる過程で笑顔をもらったり抱きしめたりする過程できっと失われていた部分を取り戻し愛情を上書き保存することができるのだと思います。

たとえば、幼いころ虐待を受け深く傷を負った場合、我が子を育てる過程で抱きしめたり笑顔を守っていく過程で自らをも、深く傷ついていた幼いころの自分をも抱きしめる、癒すことにつながるのだと思います。フラシュバックのように辛い記憶が呼び覚まされても、目の前の我が子の笑顔や体温を感じることで、背面にその記憶はなくはならないけれど場所を変えます。

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10年後の自分へ

新年に今年の目標をたてた方もいらっしゃると思います。

去年まで上手くいかないことが沢山あっても。新しい年には希望のようなイメージがわいてくるということはありませんか。

新年早々、私の友人が事故にあってしまいました。信号無視の車に追突されたというのです。ちょうどドライブレコーダーのない車に乗っていたらしいのですが、目撃した方が寒い中警察がくるまで待って、証言してくれたそうです。幸い双方に怪我はなく、不幸中の幸いでした。

事故というストレスフルな状況でも助けてくれる人がいて、感謝する気持ちをいだくことができるということ。それはとっても素敵なことです。どんな状況でも、まわりを見渡せば助けがあり、自分らしい行動をとることができます。

なかなか思うような自分になれなくて心が折れそうになった時、そのまま諦めたら10年後の自分はどう思うでしょうか。

想像してください。潤沢に時間のある人もない人も10年後の自分に納得してもらえる歩みを、今年、きょうから始めてみる。探してみませんか。

ボレロ
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ゆく年へ

令和元年もあと少し、嬉しかったこと、悲しかったこと、やり遂げたこと、やり遂げられなかったこと、愛しい人への思い、引き裂かれた思い、遠くから祈ることしか出来なかった思い、悲喜こもごも、あと少しで去年のこととなります。

しあわせな思い出は大切に、辛かった思い出は消し去ることはできませんが、思いだしたとしても囚われることのないものへ変換していくことができます。

大切な今、現実にいまあなたを害する力がないものに囚われて時間を無駄に費やすのはとてももったいないことです。今、成し遂げたいこと、すべきことに注意をむけ、自分自身の「価値」と定めたことに集中していきましょう。

過去のトラウマは私やあなたの命を奪うことはできません。

いろいろあっても、今生きて、新しい年を迎えられることに感謝です。

良いお年をお迎えください。

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