台風一過のサプライズ

昨夜は台風10号の風が吹き荒れていました

今は時折雨まじりの風が吹いています。

怖い思いをなさった方も多かったのではないかと思います。

今年の夏は帰れないと言っていた息子が帰省することになりました。

ただ一泊しかできないとのことだったので、今夜は明日のメニューの下ごしらえをしていました。ゴロゴロビシソワーズ(じゃがいもはつぶさない)は冷めたら冷蔵庫に。ハンバーグは成型して、明日焼くだけに、それから・・・

たぶん私はまだ子離れが完全にはできていないのかもしれません。自覚があり、統制がとれていると思うので、とりあえず良しとしましょう(笑)大切な誰か、友人だったり、子供だったり、恋人だったり、愛しい人を待つ時間はとても幸せです。

しあわせな今を、「いま、ここに」集中して楽しむことが重要です。

それが苦難を乗り越えるための時間であっても「いま、ここに」集中すればやりきることができるはずです。

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まず、始めてみよう。

自分の価値観を定めても、目の前の事や様々な不安にまけて逡巡してしまうことがあります。

待ち構えていたかのようにしなければならないことが次々起きてきてしまうようなこともあります。しかしそんな時、立ち止まって内省してみると自分自身があえて立ち向かうべきことを回避しているのだと気づくことがあります。
「○○が終わったらするんだ。」
「○○のせいで私はできない。」
そんなことを言ってるうちは永遠に○○から自由にはなれない。
思うようにはならない。
自分の意志ですべて生きることができたなら、私はとっくに「なりたい自分になってるはず」。
自分のなかに浮かぶ思考は自分の自由意志とはかぎらない。

思考と現実世界は一致しないこともしばしばある。

私なんかにできるはずない(現実は違う)。

まず、やりたいことをやってみよう。

とりあえず始めてみよう。自分が価値と定めた自分の生き方を。

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 S先生  夢

尊敬しているS先生の講義を受けている。

空き時間に私はどこかへ行こうとする。

先生は私を追い越して行こうとしている。

見上げると青空に飛行機がとんでいるのが大きくみえる。

なんともすがすがしいと感じる。

先生の歩みが遅くなり「一緒に行きましょう。」と手をつないでくる。

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心の小川に、葉っぱにのせて不安を流す?

ACTのワークに心に不安が浮かんで来たらどんなものか注意を向けて、そのまま葉っぱにその不安を載せてイメージの小川にのせて流すというワークがあります。

こんな思いが私の中にあるんだと受け入れて、葉っぱに乗せてイメージの小川に流す。
しかし、重すぎて沈んでしまう。戻ってきてしまう。
そんなことがあります。

つまりそれはアクセプタンスではなく回避なんですね。ACTは回避ではありません。
きちんと自分の中にマイナスの思いも受け入れて居場所をつくり、距離をとり客観視
する。あることをわかりながらも自分の本来集中したいことに専念する。

葉っぱに乗せて沈んでしまったり、戻ってきたら注意しましょう。

かく言う私も沈んでしまうことがありますが(汗)


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眠れぬ夜に・・・

少し自分のことを書いてみようかと思います。

学生時代を含めて4年近く夢分析を中心とした精神分析をユング派の分析家に受けました。最初の頃は一週間に一回、自分が遠方に住まいしていたときは月一回くらい通い続けました。

不思議に分析の日が近づくと象徴的な夢を見るのです。当時の私は枕元に筆記具をおいて朝目がさめると忘れる前に書き留めるという作業をしていました。

日常生活を送りながら、自分の中に湧き上がってくる無意識からのメッセージを受け取り意味を自分の中に取り込んでいく過程を経験できたことは、ある意味幸せだったと思います。

そんな時間がなくとも自分の課題を成し遂げ苦難を切り開き適応して生きていくことのできる人達のほうが断然多いのだと思います。

「お薬だけも楽になります。でも自分自身のことをより深く知りたいなら、大変な作業だけれど分析を受けてみませんか。」そう分析家の先生が言われたのです。
私は「おねがいします。」と即答しました。

今の私はあのころのあの時間がなければ存在しなかったかもしれません。

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人生の価値を定める ACTの学び

自分の価値観を持ちそれに沿って人生の方向性を定めて生きることができたなら、どうでしょうか。

きっと、苦しくても頑張れる、くじけそうになっても自分の価値にそった生き方をすれば逆境すら楽しめる。そんな経験はありませんか。

たとえば

愛にあふれた家庭を築きたい。

誰に対しても誠実でありたい。

私の場合は、若い日痛んだ記憶から、誰かが痛んだ時そばで何らかの力になりたいということでした。ただそのように自分の価値観にそう生き方が依然からできていたかといえばそうではなかったかもしれません。不安に苛まれできない、無理だと感じることも多くありました。

目的とは違います。目的は成し遂げられるものです。

価値観は人生が続くかぎり、生き方を決定される有効なものです。目的は価値観にそって決めることが大切です。

またどんな状況にあろうともぶれずに自分を支えるものです。

そしてその価値にコミットすること。不安がありながらもそれを受容し、価値にそった生き方ををすることができるようになる。「今ここで」にコミットする。

不安は受け入れるが囚われず、今に集中する。


マインドフルネスを使ってできるようになると言われています。

参考文献 「幸せになりたいなら、幸せになろうとしてはいけない」ラス・ハリス


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マインドフルネス ACTの学び その2

Acceptannce and Ⅽommitomennt Therapy

自分の感情、不安をうけいれる。そして判断を手放す。
そうはいってもどうすればいいのか・・

マインドフルネスとは「自分の思考にはっきり気づいていること、ものごとをありのままに見る。ありのままにうけいれる。注意を払う特定の方法であり現在に焦点をあて価値判断は下さない」というを定義されているようです。

マインドフルネス、わたしも毎日就寝前にやっています。

椅子に座る。

楽な姿勢で背筋を伸ばすイメージ。

背筋以外の体の緊張を緩める。体の感覚に注意を向ける。

呼吸に意識を向ける。鼻からすって吐いていく。ゆっくり自然な呼吸でその感覚に注意を向ける。

浮かんでくる様々な感情を受け入れ、呼吸の感覚に注意をむける。

10分私はやっています。またマイナスの感情にとらわれてしまったときも事情がゆるせば密かにやってます。

そして、感情が沸き上がってきたら「私、、、だという感情を抱いている」そういうふうに変換すると少し離れたところから自分をみることができ、感情にとりこまれることがありません。

続けることで感情、不安を受け入れることができるようになるようです。




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不安を受け入れる AⅭTの学び その1

危機的な状況、喪失体験の中で、日常を生きる中でも、どんなに追い払ってもなくならないのが不安です。

幸せの絶頂にあるかに見えるときでさえ、頭をもたげてきます。追い払おうとすればするほど、それは大きくなってしまいます。生きていく中で避けてはとおれないものです。

行動はコントロールできるけれど不安といった感情はコントロールできません。

たとえば喪失という悲嘆に一緒になってやってくる不安。大切な人を亡くして、大切な関係性をなくして、その人のいない世界でやっていけるのか
悲嘆は受け入れ味わい尽くすことが肝要です。
不安もまた受け入れ、自分の中に居場所をつくってやることが大事です。そしてその原因を探したりしない。ありのままを観察するが判断を手放す。
そうすることで距離ができます。なくはならないけれど囚われて多くの時間を費やすということが減ってきます。

何かを成し遂げようとするとき、浮かんでくる様々な内なる声、「できるはずない、おまえには無理だ、笑われないうちに辞めることだ」。
自分の中にあることを受け入れつつ、原因をあれこれ探ったりしない、ありのままを観察することで本来の自分が人生の指標にしたいこと、すべてのプラスの動機づけにつなげることが大切だということです。


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研修会のお知らせ

「ストレスチェック実施後の職場環境改善」を山形産業保健総合支援センターで実施いたします。

2月19日;鶴岡市庄内産業振興センター東館 第二研修室にて14時~16時

2月22日;山形市ビッグウィング4階研修室にて14時~16時

お申込みは山形産業保健総合センターのHPからお願いいたします。

人事総務担当者、保健師・看護師・衛生管理者等の産業保健に関わる皆さま方が対象になります。

ストレスチェックは法対応のためだけに実施しても意味がありません。メンタル不調者を見つけ出すのが目的でもありません。それぞれが自分の心の状態に気づきセルフケアをできるようにする。職場のどこにストレスがあるのかを見極め、職場環境改善を行う。それがストレスチェックの真の目的です。

メンタルヘルス対策促進員の高橋厚子さんと私、労働衛生専門職の方もファシリテーターとして加わり、講義とグループワークを行います。

当日お待ちしております。

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喪失の痛みから立ち上がる

心配ごとが重なったり、落ち込んでしまい自分を肯定できなくなったとき、とことん落ちる所まで落ちてしまう。それもよくやる解決法です。あとは浮上するだけですから。

悲しみ、悲嘆は味わい尽くす。回避しないことが大事です。なぜなら未来に複雑な形で悲嘆を先送りしてしまうことになるからです。やりがちなのは、苦しすぎるからと、忙しくして先送りしてしまうこと。あとでより複雑になって苦しむことになります。
愛する人が去っていったら、それも喪失。
愛する人が死んでしまったら、それも喪失。悲嘆とむきあって味わい尽くす作業が必要になります。

泣く、嗚咽する、すすり泣くまで,なぜ、嘘だ、どうして私の身に、様々な葛藤を経て、その意味を知ることになります。そこから自分が喪失した人がいない現実で、前とは違った生活を生きてゆくことができます。

失わなければ出会うことのない物も人もあります。


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