良き一年となりますように!

遅まきながら新年明けましておめでとうございます。

お正月は風邪をひいてしまい、最低限度の外出にとどめ、ほとんど寝正月を決め込んでいました。平成30年から一日またいだだけで、お正月はなにか厳粛な気持ちになります。
やり直しのきかない過去に囚われてばかりいないで前へ進めと背中を押されているような気分になります。
一年に一度この通過儀礼があることで希望のイメージを持つことができるのだと思います。私は年中行事というより一つの通過儀礼という認識をもっています。

この新しい一年は年号が変わります。
平成最後の一般参賀には沢山の方々が皇居に集まりました。
昭和の頃は皇室は遠い存在という認識でしたが平成になって皇室が国民ひとり一人に寄り添う存在になってきたと感じているのは私ひとりではないと思います。
被災された方々に、ひざを折って寄り添う陛下の姿に被災地の方たちのみならず見ている私たちも あたたかい涙を 禁じえませんでした。

日本人は共感性の高い民族だと言われています。
辛い状況にあっても寄り添ってくれる誰かの存在があれば生きていく、切り開く勇気をもつことができます。
まわりに誰もいないと感じても、心の目をこらせば見えてくる存在があるはずです。逆境は逆光に似て、あるものが見えにくくなっているのかもしれません。

希望のイメージをもって良き一年を!


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平成30年 行く年への思い

年齢に反比例して時間の長さが感じられるものだといいますが、ほんと年々駆け抜けていくように思います。

様々な出会いがあり、別れがあり、変わらずそばにいてくれる人、新たに加わってくださった人がいました。

辛い別れに心が引き裂かれるような思いをした方もいらっしゃるでしょう。私もそんな日がありました。死別であったり生き別れ、裏切りだったり、新たな出発だったり、やりきれていない自分の不甲斐なさに愕然としたり。でもすべて自分の決断の結果の今、生きている自分は誰か多くの方々に守られているということに感謝しかありません。
誰の助けがないように感じるときも人は一人では存在できません。

「平成の30年が戦争のない時代だったことに安堵しています。」そんな陛下のお言葉がありました。様々な災害があり亡くなられた方たちや理不尽に生きることを奪われた子供たちのことを考えると安堵だけではなかったとは思いますが、生きていることに感謝です。

生きるためには様々な命を奪うしかないのが人間です。罪を犯さなければ生きられないのが人間の性です。だからこそいい生き方をしなければならないのだと、幼い日教えてくれた人がいました。

与えられた場所で、許された場所で生き続けるのだと思います。ひとつひとつ丁寧に、根を張り、小さくとも美しい花を咲かせられたらと思います。

今年の出会いに感謝、別れに感謝。

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五感で感じることを大切にする。

目や耳、鼻、舌、皮膚で感じることであらゆる情報を取り込み、私たちは判断しています。
赤ちゃんの愛くるしさ、ほのかなミルクのにおい、抱っこしたときの感覚に私たちは思わず笑顔になります。その愛おしさにやさしい気持ちになります。
こういう時、しあわせを感じるのだと思います。
美しい野の花に心躍らせた幼い日がありました。そんな時おさないなりに満たされた思いがありました。

情報があふれ、もっと美味しいたべもの、もっと美しくなるグッズ、もっとステイタスのある暮らし、そんなことに心が占領されると、私たちは疲弊してしまいます。
自分はまだまだだ、それを手に入れてない自分はダメだとか思ってしまう。
向上心という意味ではその感覚も必要ですが、身近にあるしあわせを気づかずやり過ごしてしまうかもしれません。

五感で感じることを自分の中にしっかり取り込み咀嚼することは大切なことだと思います。言い換えればその感性があればしあわせを引きよせることができる、しあわせを受け取る準備ができているということだと考えます。

すれ違った人の香に一瞬こころが動いた。
そう、あの人の香水と同じだ、そう感じてキュンとするのも悪いものじゃありませんね。

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逆境でも前へ進む

羽生選手のファンである私は釘づけでした。

ショートプログラムで完璧な美しい演技のあとフリープログラムの練習で怪我を負った羽生選手。
怪我をおして構成を変え挑んだフリー、見事に優勝。
しかし、その怪我はかなりの重傷でした。

羽生選手のメンタルの強さがよく話題にのぼりますが、痛々しいまでに自分を磨き続けるその姿はあまりにストイックすぎて凡人の私は心配になります。
3.11の震災の時、彼は仙台のスケートリンクで先輩にすがり泣いていたと聞いたことがあります。
それから少年は美しい青年になり、絶え間なく自らを超えてきました。

普通の青年にもどり、恋をしたり、のんびり過ごす時間も許されていることを忘れないでほしいと思っています。

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お気に入りの靴がストレスになって歩けなくなった。

東京の会議にいってきました。

東京の人たちはよく歩きます。長い長い駅の通路。階段もたくさん。
慣れてるはずのお気に入りの靴だったのですが指から血がにじんでいました。場所が東京大学の講堂で行われたので、はじめて訪れたこともありキャンパスを散歩したのが悪かったんですね。いつも鶴岡では車なのでほとんどあるかないからなんですよね。無理をしてそれがあわないことに気が付く。

多少違和感があっても、ちょっとのストレスなら気づかずスルーできるものもそれが沢山押し寄せたり、長く続いたらストレスで靴擦れという痛くて動けない状況をつくってしまいます。

こころも同じ。

沢山のストレスが一気に押し寄せてきたり、絶え間なく継続し
たら動けなくなってしまう。萎縮してしまうんです。

赤門

三四郎池

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鶴岡市こころ元気アップセミナーから

先日今年度の「鶴岡市こころ元気アップセミナー」に行ってきました。

基調講演「生き心地のよいまち 日本で最も自殺の少ない町の調査から」が納得の内容でした。

慶応大学大学院 岡 檀 氏の講演でした。

いろんな人がいたほうがいい そんな考え方の町の人たち。

いろんな人がいてもいいという容認ではなく、そのほうがいいという発想です。

絆最強説の見直し、ゆるやかな繋がりの中で関心は示すが監視はしない。

関心は受け入れるための行動。監視は排除するための行動。

群れの中で生きるためには、その集団の色に染まること、均質化が求められがちです。

適切な距離、適度の依存の中で自律した人間関係なのかもしれません。

 

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依存と執着

私がいなければあの人(夫)はだめになる。
依存症の夫を支える私は健気な妻。
子供のために私は自分を犠牲にする優しい母。
自分のためじゃない。
夫のため。
子供のため。

〇〇の妻、○○の母親。
その役割に執着してはいませんか。その関係性に依存してはいませんか。
それは夫の為でも子供の為でもなく自分自身のため。
その自覚が大切です。
全ては自分の選択です。

その自覚を持った上でなら、その生活を続けることも良いのだと思います。

 

 

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思い出、時間というフィルター

学生時代山岳サークルだった私は北アルプス、白馬にも行きました。
当時の思いを考えてみると決して楽しいことばかりではありませんでした。
でもふり返ってみると、今は懐かしく愛おしいものが溢れてきます。
思い出は辛かったものを浄化し、その頃気づいていなかった幸福を教えてくれます。
時間というフィルターは痛みを優しいものに変換してくれます。
逆境をも語ることもできるようになります。
いま耐え難い思いにうちのめされていたとしても時間が傷を癒してくれます。
与えられた時間を丁寧に生きていくことでそうすることができるのだと思います。

新緑の中の白馬トロイメライ

 

春の白馬岳

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ありがとう!

きょうは私の誕生日です。
遠くにいる大切な人からメールを頂きました。
歳は重ねるのではなくて取ってしまいたいのですが・・・・。
今生きていることに感謝です。

 

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そばにある温かさ

自分の気持ちを彼は、彼女は、ちっともわかってくれない・・・
そんな話をよくききます。
わかろうとしてあなたのそばで耳を傾けてくれる存在があることはあなたの力になります。
身近にいるそんな人は、もしかしたら得難い人なのかもしれません。
ずれていたり、理解がいまひとつと感じたりするかもしれません。
でもそんな存在がそばにあるのは特別なことなのだと思います。

わかろうとしてくれる人がいる、わかってもらいたい人がいる。
それは紛れもなくしあわせなことだと思います。

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