不肖の母です。

明日は母の日です。
私の所にもお花が届きました。
子供が母親の手の中にあるのはほんの一時です。
母性はあらかじめ備わっているものではありません。親となり育てていくなかではぐくまれていくものです。

こどもが3歳ならママも3歳です。
子供と一緒にパパもママも育っていきます。

子供が巣立つ日まで、様々な葛藤や喜び、悲しみ、生きる事を一緒に共感しながらはぐくんでいきます。
私は自らを振り返るとき、子供達に対して良い母親だったかと自問するとき、そうではなかったことも理解しています。
子供は親が考えるより逞しく、優しく育ってくれました。

「不肖の母」にもかかわらず、です。

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人と人との距離

自分の中にある感情や事柄全てを自分の愛する人、友人、恋人、配偶者、親もしくは子供達にあきらかにすることがベストあるとはかぎりません。
共に担わなければならないことはあります。影響がその人達に及ぶことがらは開示しなければならないとは思います。

時によって人と人との距離は考えなければなりません。
赤ちゃんと母親の距離は0センチ、大きくなるにつれその距離は1センチずつ増えていきます。
人間関係が難しいという人達のなかには、親しくなると自分の全てを知ってもらおうという気持ちがめばえがちです。でも、それはある意味不作法かもしれません。

ある程度の距離感がないと相手は息苦しくなるのではないでしょうか。
体重すべてをあずけられては誰でもいずれ苦痛になるのではないでしょうか。
心にもパーソナルスペースはあります。

人と人との間の距離感、依存は適切に。

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起きてもいないことを心配してしまう。

日々生活していく上で心配はつきものです。
心配はつきないもの、無くはならないもの、全くなくなっては困るものです。
危機管理のためにも必要です。将来に備え努力するためにも必要なものです。

誰でも心配はしてしまいます。でもきりがないことに気づいてある程度は流してしまうものです。
私も初めて、いや今でも、訪問先でお話をさせていただくときには心配してしまいます。
自分としてはできうる限りの準備をさせていただいても、それでも不安にかられることがあります。

自分の努力の仕方が間違っているのかと考えたり・・・してしまいます。
でも等身大の自分でできることをすればいい、うまくいかなかった時の結果は自分で引き受ける。そう思えた時踏み出すことができるようになることに気がつきました。

未来がどんな風になっても自分の人生を生き抜くという覚悟のようなものをもてば立ち向かうことができます。

「空が落ちてきてしまうんじゃないかと心配してしまう」杞の人々の憂いは不要です。

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年老いて、こんな幸せがあるなんて・・!

病院でお年寄りのお世話をしている友人が患者さんに言われた言葉です。
ご高齢になってから、事情があって当地の病院に入院しているご婦人のお世話を友人はしていました。
そのご婦人の人生に寄り添うことをしながら、丁寧な対応をしていました。
「あなたの声がすると安心するの、好きでこんなに年をとったわけではないけれど、あなたがしてくれることが私をしあわせにしてくれる。年をとってこんな幸せがあるなんて考えてなかったわ!」
そういってそのご婦人は微笑んでくれたということでした。

対人援助職の極みでしょうか。
そんな言葉に支えられている自分をも友人は理解しています。

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ヒトはいじめをやめられないのか!?

いじめを良いと考えている人はいないと思います。
しかし、同じような悲劇が繰り返される。
正しい方向へ指導すべき先生達でさえ加担してしまうことがある。
いじめられるほうにも問題があると言い出す人さえでてきてしまう。

どんなにいじめが悪いことだと認識させてもやってしまうヒト。
理性がはじけとんでしまうのには人間の根源的ななにか、集団無意識のようなものがかかわっているのではないかと考えていました。

中野信子さんの-ヒトは「いじめ」をやめられないーとういう本を読みました。
種を残すため脳に組み込まれた機能だということのようです。
母親が子供を守るため、他を徹底的に排除するということは動物の中によくみられることです。
そして集団になったとき理性がのみこまれてしまう。
詳しくは本をお読みください。
(いじめを回避する方法も書いてあります。)

いじめをする決められた人達がいるのではなく、パワハラをする決められた人達がいるのではなく、誰でもいじめをする可能性があるのだということを個々が自覚する必要があるのだと思います。
集団の中でこれが正義だ、心地よいということを感じた時、立ち止まって考えてください。
距離をとった時、自分の理性が正しく機能しているかどうかを考えてみましょう。

 

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山形市 研修会「悲嘆に寄り添うグリーフケア」

大切に思っている友人と山形県精神保健福祉センター主催の研修会に行ってきました。
死別の悲しみと共に生きるー悲嘆に寄り添うグリーフケアの研修会に行ってきました。
上智大学 伊藤高章先生が講師でした。

グリーフをなくす方法はない。
大きな喪失のあとの悲しい気持ちはゆたかな関係、良い時間をすごしたからこそ。
日常を丁寧に生き、悲しみを味わいつくすことで、顔を上げて生きていくことができます。

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小平選手 「良くない時も認めてくれる人がいた。」

金メダルをとった小平選手が言っていた言葉です。
華々しい今の彼女なら誰もが当然に「良くやった!」と言ってくれるでしょう。
当然といえばそうですが、彼女を支えたのは、自分が不調な時も側にいてくれた存在でした。
順境の時は誰もがそばにたくさんの人が集まると思います。
でも逆境のときそばにいてくれた人こそ本当に大切な隣人なのだと思います。

いま光があたるアスリート達。小平選手も羽生選手も苦しいトンネルを通りぬけいまがあります。

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羽生君おめでとう!!

ずうっと祈るように羽生君の演技を見守っていた方が沢山いらっしゃることでしょう。
私もその一人。
怪我を乗り越え、プレッシャーに負けず、様々な葛藤があっただろうと思います。
笑うと幼い少年のような笑みになる結弦君。
凄い自分をこえなければ自分でない、負けん気つよいなぁ~。
すばらしいとしか言えない。

悲しみと、優しさ、強さ、美しさ、全てを内包した珠玉のような若者の姿に日本中が癒されましたね!!

手が痛くなるまで拍手をおくりました。
おめでとう羽生君!
ありがとう羽生君!

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大切な人がなくなる 夢

大きな日本家屋で幼い娘と私は「老賢人」のような人と暮らしている。
彼を慕って様々な人が訪れる。
偉そうにしている男性がくるが、その人に「おまえでもできてるんだから云々・・・・」と言っている。
喧嘩にならないかと、私は心配する。

一緒にくらしているのに中々会えない。そんな中彼が亡くなったらしい。
大勢の人が弔問に訪れる。
知った顔もいる。

私は娘と一緒に生きていこうと考える。

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厳寒に春まつ蕾

ここ数日厳しい寒さが続いています。
春には美しい花が咲く桜の木々が寒気のなか凛としてたっています。
桜の花は厳しい冬の寒さを経験しないと美しい花をさかせないといいます。

人もまた、「然り」なのかもしれません。
逆境のなかにあるときは、密かに粛々と力をたくわえる時なのかもしれません。
それぞれの「時」の中に学ぶべきことがあるのかもしれません。

今年はきっと美しい花が見られることでしょう。

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