大きな日本家屋で幼い娘と私は「老賢人」のような人と暮らしている。
彼を慕って様々な人が訪れる。
偉そうにしている男性がくるが、その人に「おまえでもできてるんだから云々・・・・」と言っている。
喧嘩にならないかと、私は心配する。
一緒にくらしているのに中々会えない。そんな中彼が亡くなったらしい。
大勢の人が弔問に訪れる。
知った顔もいる。
私は娘と一緒に生きていこうと考える。
大きな日本家屋で幼い娘と私は「老賢人」のような人と暮らしている。
彼を慕って様々な人が訪れる。
偉そうにしている男性がくるが、その人に「おまえでもできてるんだから云々・・・・」と言っている。
喧嘩にならないかと、私は心配する。
一緒にくらしているのに中々会えない。そんな中彼が亡くなったらしい。
大勢の人が弔問に訪れる。
知った顔もいる。
私は娘と一緒に生きていこうと考える。
ここ数日厳しい寒さが続いています。
春には美しい花が咲く桜の木々が寒気のなか凛としてたっています。
桜の花は厳しい冬の寒さを経験しないと美しい花をさかせないといいます。
人もまた、「然り」なのかもしれません。
逆境のなかにあるときは、密かに粛々と力をたくわえる時なのかもしれません。
それぞれの「時」の中に学ぶべきことがあるのかもしれません。
今年はきっと美しい花が見られることでしょう。
あの人虫がすかないのよ・・・。
なんとなく気にさわる。具体的になにが嫌ってわけじゃないけど、生理的に嫌なのよね。
そういう人って誰にもあるんですよねぇ。
虫のことだから私に責任ない、生理的だからどうしようもない。
生理的に嫌な人って自分の影の部分をその人に見てしまうからなんですね。
イラッとする彼女は私と正反対の見た目、仕草、性格です。
ブリっこの上目づかいの女の子が嫌われるのは慎ましくいきている女の子の影だから。
自分の中の普段意識されない、自分では受け入れられない部分と向き合うことも大切だと思います。
職場での上司の叱咤激励。
偏差値高い大学出てるんだからこれくらいできるだろう!
何度言ったらわかるんだ!大勢の前で言われる。
そんな状況で上司の顔を思い描いただけで、身体が震える。
ふいに涙があふれてしまう。
それは心の震え、心が流す涙です。
適切な場所へ相談を検討してください。
それはパワーハラスメントです。
一人で抱えては危険です。
声をあげてください。
延暦寺の千日修行の話題がテレビで流れていた。
確かに苛酷な修行のようだ。それを否定はしないけれど、我々凡人に救いはないのだろうか。
人のために祈ることは尊い。
祈りに似た人間関係は美しい。
私達の毎日は俗世の中での鍛錬だ。
人生で出会う様々な艱難辛苦の中で生きることが辛くなったり、自分の不甲斐無さに涙したり。
でもときには、一輪の野の花を愛でる。
人から褒められることはなくても、磨き続ける。
そんな人が愛おしい。
母からきょうは家にいてくれと言われる。出かけるところがあるといわれるが様子がおかしい。
仕事上のトラブルがあり、対処に追われる。
なんとか終えて、木の橋を渡り帰ろうとする。子供の頃見た木の橋。木の感触も伝わる。歩いていくと大きな黒い生き物が道をふさぐ。
私は一緒にいた人がいる、それはもう一人の私。その人をかばい逃がして自分も逃げようとするが大きな手が伸びてきて私をとらえようとしとぃる。
依存症の家族であることに疲れた女性。
繰り返される飲酒、後始末のあとのやりきれない思い。
その家族であること。家族をやめて別の人生を生きる。
どちらもその方の選択です。
私がいなければ・・・。夫は、妻は。
私が決めたこと。
自らの選択だという自覚をもてば状況を正しく把握することができるかもしれません。
ある依存症の家族として壮絶な体験をされた方が仰っていました。
お金、時間、謝罪、様々なものを使い果たされてしまった。自分に残っているものはそういった状況の中で続けたある学びだと。
人は裏切ることがあります。奪うこともあります。さまざまな策を弄して模倣という形だったり、善意につけこんでの略奪だったりすることがあります。
しかし、その人の中に取り込まれている知識、前向きな生き方、優しさは奪われることはありません。
他人が持っているものをうらやましく思ったりするのは人の常、自分のパートナーより素敵にみえたりなんてこともあるかもしれません。
しかし、そんなことより自分しかもっていない、大切な積み重ねてきたことに目をむけてみたいと
思いませんか。誰からも奪われないものに。
毎年、成人式の日、今更ながらわが身を悔いてしまいます。
数十年前の私の成人式、私は家に帰らず晴れ着も着ませんでした。
自分が親になり我が子の成人式にはそれなりの感慨がありました。
できるならあの日に返って親に育ててもらったお礼を一言、節目に言いたかったとおもいます。あの頃通過儀礼の意味も考えず、親の思いも考えず、不遜だったと今更ながら思うのです。
今更届かない「ありがとう」と「ごめんなさい」をつぶやく私です。
私ができることは感謝をもって生きる事だと思います。
生まれてきてしあわせだったと仏壇の前で手を合わせました。
心と身体を健康に保つため、子供の成績を伸ばすために必要なもの。
それは特別なものでも特別なことでもありません。
寄り添ってくれる人の気配、支持してくれる言葉、そしてあったかい御飯があったら、人はがんばっていけることでしょう。
自分の手の中にある、あたりまえに思えるなくてはならないものが、あたりまえではないことに気づくはずです。
子供の成績をのばすためには早寝早起き、朝ごはんです。