母性ゆえに 空の巣症侯群

40代、50代ころの女性は子供が巣立ってやれやれ・・・とはなかなかなりにくい。
一生懸命子育てをしてきた女性が子供の自立、結婚などで子供が家をでていったあと、言いようのない淋しさに襲われます。ぽっかり胸にあいた大きな風穴。もう自分を求めてくる子供の姿はない。家庭という巣の中にもう雛鳥はいない。
なんて的確なネーミングなんだろうと思います。

かく言う私もなりました。自分の役割がなくなったような喪失感をいだきました。
普段と変わりないように時間は過ぎても自分は置いていかれたような・・・・。
涙がぽろぽろこぼれたり、たよりない自分の心を持て余すような抑うつ状態。

丁度この頃、女性は更年期も迎えます。更年期は女性ホルモンの急激な減少によって起こります。様々な身体の不調と心の不調。どっちもかなりしんどい。
この年代の課題はこれから残された人生をどう生きていくかということです。

子供は確実に親離れをしていきます。また、そうでなければ困ります。

母親としての子育てという役割は終わっても互いを尊重して今までとは違う親子関係を築いていけます。一人の女性として人として生き方を再構築していくことができるのです。

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人生の午後という考え方 Ⅰ

ユングは40歳を人生の正午それ以降を人生の午後とよんでいます。
40歳以降は人生の午後、これから日没へ向かうことになります。日没、老いていく過程、そして死を受け入れなければなりません。
私達は生まれた時から死にむかって生きているとも言えます。

人生の正午(南中)は人によって違います。また人生の時間が長くなった今、中年期も長くなったと言えるかもしれません。
若年者という括りには20代30代がはいる時代です。40歳で正午(南中)ではなく10歳くらいずれて50歳位が正午という方も多いかもしれませんね。

長くなった人生、私達は60歳以降の生き方も考えなくてはならなくなっているのだと思います。
70代で現役で社会の中で活躍なさっている方も沢山いらっしゃいます。

長くなった午後の時間、私はあなたはどう生きていきますか・・・。

 

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憎しみを糧にして忘れる そして

愛する人の裏切りは耐え難いものです。
心が引きちぎられるような感覚に襲われ暗い奈落の底に落とされるかのような、一筋の光さえ見えず暗闇の中にただひとりという感覚でしょうか。

それでも何事もなかったように、食事をしたり、仕事をこなしたり生きて行かなければなりません。
忘れるしかないとしたら、理不尽な別れを切り出されたら、その耐え難い状況を脱するために憎しみを糧にして忘れることも許されているのだと思います。
もちろん、だからといって公序良俗に反するようなことはいけません。

俯瞰してその別れ、裏切りの意味がわかるまで、相手を責める気持ちも自分のものとして引き受けてみたらいいのではないかと言う場面があります。

<<憎しみを抱いて、花になったら祭壇に捧げよう>>そんな詩があります。

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慎ましく暮らす幸せ

ほんとのお金持ちは慎ましく暮らしているという。
アインシュタインが幸せに言及するときにも「慎ましく穏やかな生活の中に幸せがある」といっている。

私は慎ましく暮らさざるおえない、正しくはビンボウなだけ。
それなのに、「自分へのご褒美」と称して後で後悔する買い物をしたりする。安い、お買い得という言葉につられて買ったオークションの品物は日の目を見る事がない!なんと言う不幸!

一方、一生使いたいと思うものへの投資、学びへの投資は大事だと考えている。

必要なものだけに絞って、慎ましく豊かで幸せな生活をめざしたいものだ。

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生き方がかわると出会う人が変わってくる

自分の生き方がかわると、出会う事柄、出会う人が変わってきます。
たとえ同じ事柄、同じ人であっても、そこから学ぶもの、受け取り方が違ってきます。

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希望のイメージ

物事が上手くいかないとき、えてして私達はあれもこれも上手くいかないとネガティブなイメージをもってしまいがちです。
未来はどうなるかわからないのに良くない事がおとずれると決めてしまいがち。はたしてそれは正しいのでしょうか。

未来は変えられます。きょう失敗したことから学んでいけばいいはず。
そして良いイメージ、希望のイメージをもつことが大切だと思います。
そのイメージを実現するために頑張るのと、上手くいくはずのないことを頑張るのとどっちが頑張れるでしょうか。

底の底まで落ちてしまっても、天空からさす一筋の光をみつけることができればきっと這い上がれます。どんな状況でも希望のイメージをもつことできっとそれは実現します。
未来も自分も変えられます。

少しの勇気と希望のイメージ。

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「おかあさん、ありがとう!」羽生選手のCMに涙腺崩壊

羽生結弦選手のファンならずとも思わず「うん、うん」とつぶやいてしまいそうなCMが放映されましたね。
私は涙腺崩壊してしまいました!

羽生くんの美しさは、逆境を乗り越えてきた魂がなせるものだと思います。3.11で被災し多くのものを失いながら、被災地の思いに寄り添い自分に限界をつくらず高みをめざす精神性の高さが彼を美しくしているのだと思います。
彼の姿に生きる勇気をもらった方も多いのではないでしょうか。

ただあまりにストイックに高みをめざす姿が心配になることもあります。
そんなおかあさん世代のかたも多いのではないでしょうか。

結弦くん生まれてきてくれてありがとう!ですね。

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共感性について 一考 

人の思いを自分のものとして感じることができる感性。
あたかも自分が経験したかのように感じる感性。

あたかも、「as if…」なのです。近似したものですが全く同じではない。その認識が必要です。

同じ大切な人を亡くしたという喪失体験でも、その意味は似て否なるものです。
わかったつもりにならないことも大事です。
「分かる気がする・・」するという程度。

その認識がないとクライエントさんを傷つけてしまう可能性があります。

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霙のち虹

国道112号線、曇り空から霙、のち虹がでました。バスの車窓からです。

 

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介護士さんの悩み事

介護にかぎらず、教師、保育士など対人援助職は基本的なスキルとともに、人の心と命に関わる仕事は多くのことが求められます。

そんな頑張っているある人に悩みがあるというのです。

上品な佇まいのお年寄りが食事の時お皿を舐めるのを目の当たりにしたとき「切なくなってたまらなかった。否定しないで受け入れたいと考えているのだけれど、辛くなる。」と。

その後の対応を聴いたところ、その患者さんの耳元で「舐めなくたって大丈夫だよ。」とささやいたそうです。

その対応はとっても温かい。
もし、その人が親だったらという想像ができている。上から目線ではなく傷つけないような配慮もある言葉です。「行儀わるいからやめてくれ!」といったら、たとえ認知症があってもその患者さんは傷つくでしょう。感情の記憶はきざみこまれます。

配慮ある言葉は素敵です。

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