愛する人の裏切りは耐え難いものです。
心が引きちぎられるような感覚に襲われ暗い奈落の底に落とされるかのような、一筋の光さえ見えず暗闇の中にただひとりという感覚でしょうか。
それでも何事もなかったように、食事をしたり、仕事をこなしたり生きて行かなければなりません。
忘れるしかないとしたら、理不尽な別れを切り出されたら、その耐え難い状況を脱するために憎しみを糧にして忘れることも許されているのだと思います。
もちろん、だからといって公序良俗に反するようなことはいけません。
俯瞰してその別れ、裏切りの意味がわかるまで、相手を責める気持ちも自分のものとして引き受けてみたらいいのではないかと言う場面があります。
<<憎しみを抱いて、花になったら祭壇に捧げよう>>そんな詩があります。