日々生活していく上で心配はつきものです。
心配はつきないもの、無くはならないもの、全くなくなっては困るものです。
危機管理のためにも必要です。将来に備え努力するためにも必要なものです。
誰でも心配はしてしまいます。でもきりがないことに気づいてある程度は流してしまうものです。
私も初めて、いや今でも、訪問先でお話をさせていただくときには心配してしまいます。
自分としてはできうる限りの準備をさせていただいても、それでも不安にかられることがあります。
自分の努力の仕方が間違っているのかと考えたり・・・してしまいます。
でも等身大の自分でできることをすればいい、うまくいかなかった時の結果は自分で引き受ける。そう思えた時踏み出すことができるようになることに気がつきました。
未来がどんな風になっても自分の人生を生き抜くという覚悟のようなものをもてば立ち向かうことができます。
「空が落ちてきてしまうんじゃないかと心配してしまう」杞の人々の憂いは不要です。
工場などで労働災害が発生しそうなときもこんな感じです。
この作業は危険だなと思いつつ心配しすぎると生産性が落ちてしまう。これならケガをしないという納得のいく対策を施して前に進むことですね。
コメントありがとうございます。
不安に支配されて前に進めないことありますよね。
人事を尽くしたなら自分を信じて前に進むしかありませんね。覚悟をもって、かつ自然体で。
「未来がどんな風になっても自分の人生を生き抜くという覚悟のようなものをもてば立ち向かうことができます」今の自分に染み入ってきました。自分は、覚悟ではなくて、どこか自棄になっていないか。。。立ち向かわず、逃げているのではと問われた感じです。
コメント頂き感謝です。
私自身のふり返りのようなものです。ぎりぎりのところで決断したり、その決断を覚悟することの連続で今の自分ができているのではないかと思います。