「障害、屈辱、避難などをさける結果、不快、苦痛、危険、葛藤、不安などから逃れることのできる、防衛機制の1つである。たとえば、失恋の結果修道院に入るとか、・・・・・・・・家庭生活が厭なため、毎晩バーに通いつめるとか・・」心理用語の基礎知識より
防衛機制は無意識的に行われます。それは必ずしも悪いわけではなく、きちんと向き合うための緊急措置のためだったりします。
私にも覚えがあります。
5年くらい前、慢性的な身体の痛みに囚われていたことがありました。検査しても原因が特定できず。大学病院の麻酔科に通院したりの日々を一年くらい過ごしました。
今も痛みはありますが囚われないで、自分のやりたいことが今はできるようになっています。
痛みに囚われていれば、自分自身の課題とむきあわずにすみます。「だって、そろどころじゃないんですから!」
詐病ではありません。しかし、痛みを理由に自分自身の課題と向き合うことを逃避していたともいえるのです。
変化したのは、過去のブログにも書いたACT(Acceptance and Commitment Therapy)に出会ったことでした。
また
自分自身の課題と向き合うのも「時」があるのかもしれません。
これを他人から指摘されたら怒りますよね。向きになって怒るときそこにヒントがあるのかもしれません。