はっきりと大切な人が亡くなるわけではなく、その人が存在していても自分の記憶の中にある人でなくなることがあります。
自分を大切に育て導いてくれた親が認知症になってしまう。親は親なのだけれど別人のようになってしまうということがあります。これもやはり喪失体験、曖昧な喪失と言えます。
3.11の震災で遺体は見つからず、亡くなったことは否定できないけれど、この曖昧な喪失に苦しまれた方たちは多かったと思います。それでもお葬式をするしかない。その儀式をするまで数えきれない葛藤があったのだと思います。
生きていくということは、喪失体験と再適応のくりかえし。
突然訪れた恋人との別れ
大人になるということ。
卒業する。
引っ越しをする。
受け止め方は様々ですがやはり、これらも喪失体験です。
喪失体験をすることで、次の出会いがあったり、自立できたり、新しい上のステージにいけたりするのです。
真摯にその時々を生きていけば、危機を乗り越えて成長していくことができます。
そしてその困難を乗り越えるべくあなたが頑張っているとき、助け支えてくれる存在は必ずやいると思います。
人の力を借りるのもあなたの力です。